SQUARE:2004.Autumn (Web only)
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  サッカー・アジア杯で競技場を揺るがした「反日噴出」。8月初め、日本のマスコミに、中国の若い世代に反日意識を植え付ける「反日教育のせいだ」と責めたてる論調があふれた。原因を単純化している気がしてならず、私なりに「反日噴出」の正体を探ってみたくなった。このテーマを抱いて8月20日から4日間、西安外国語大学で開かれた中国第9回日本文学研究大会に参加し、その傍ら、中国と中国人を観察した。西安は03年10月、西北大学で日本人留学生によるひわいな寸劇が発端になって反日デモが連日繰り広げられたところで、今回の「反日噴出」を含めて「反日」の深層に入ろうとしてみた。




  西安は「長安」と呼ばれた昔から日本人に親しまれている。唐代、空海が学んだ青龍寺と阿倍仲麻呂の歌碑「天の原……」が入り口に立つ興慶公園から南に向かうと、三蔵玄奘が経典翻訳にいそしんだ慈恩寺、すぐ近くに西安外国語大学がある。大学の正面玄関に向かって立つと左右に、元代のマルコポーロと漢代の張騫の旅をモティーフにした巨大な銅版壁画があり、ここがシルクロードの出発地点であったことを思い出させた。日本語学部には学部では最大級の800人以上の学生が学んでいる。卒業後の就職率が98%と良い。2%も何かの事情で就職を見送っただけで、就職希望が全員かなう状況が続いている。内陸部の西安も日本からの投資が相次ぎ、日本語を習得した学生の需要が多いからだ。学部長の張昇余教授は数少ない唐音研究家として知られ、留学先の関西大学(大阪)で博士号を取った。
  研究大会中、ボランティアで手伝う学生たちと率直に話し合った。どの大学も日本語学部は女子学生が多い。日本語専攻を選択した理由を尋ねると、「就職率が高いから」と現実的な理由も返ってきたが、理由を一つだけあげれば、と突っ込んで聞くとほとんどが「日本文化が好きだから」という答えだった。
  サッカー会場の反日ブーイングについて、どう思うか、聞いた。「なんでもいいから表現したかった若者たちの表現形式の一つでしょ」。こうあっさりと答える学生に周りもうなずいている。寸劇事件についてはどうか。「初めて出遭った日本人独特の表現を理解できる中国人なんていないわ。留学生に悪意を感じて非難の行動をしたわけではないと思う。中国的価値観で解釈して中国人の表現形式でお返ししたのよ。現にすぐに下火になったでしょ」。しかし、小泉首相の靖国禅社参拝に対しては「歴史の大義を無視してアジアの隣国の人々に傷をつけても気にしない首相の態度に怒るしかないわ。留学生には中国人に溶け込もうという気持ちがあったのと比べて、全然違うわよ」と付け加えることを忘れない。
  西安のサッカー少年とも話した。「ぼくらは中国が負けると分かっていたよ。だってランキングがはるかに下の50何番目だったから。自分の国を応援したいのは万人共通と思うけど、ああいう発散はスポーツファンとは違う」。反日ブーイングの報道を抑える党・政府の指導があったというが、インターネットまで規制できずロコミで、子どもたちもよく知っていた。だが、日本のマスコミが飛びついた反日行動に、現場の中国では若い世代が冷ややかに見ている。日中のこの落差はいったいどこから来るのか、考える価値があると思った。日本の若者の間に理由らしい理由がないときファッション感覚と言うが、中国の若者にも同じ感覚が瀰漫しているようだ。




  研究大会初日の夜、西安繁華街の鉄板焼き日本料理店に参集した。800平方bほどの広い店内は日本の赤提灯の店に入ったと錯覚するような雰囲気だった。
















  かすり着物の女性店員が忙しく動き回っている。接待もお客も中国人だった。満席状態の中に、隣のテーブルが予約席になっている。老夫婦が座って話しかけてきた。「日本風のサービスは癒やし効果満点です」とほめた。夫のほうは抗日戦士だったという。「日本料理を食べることと政治は関係なし。人は人さ−ね。老後を楽しみたいからね」と、若い世代と同じように割り切った言葉だった。料理長が挨拶に見えた。日本の有名ホテルで2年間修行したという31歳の蔡さんだ。オーナーは日本電気メーカーのコピー機を商う中国人といい、店の経営を蔡さんに任せたそうだ。蔡さんは修行経験を生かして自信たっぷりに見えた。「日本式サービスをこれからも徹底させていきますよ。日本で学んだものは中国に生かすことができる。なによりもサービス精神はね」

  その夜泊まるホテルに行った。部屋でテレビをつけると、抗日戦争映画「豆兵隊張嗄」を流していた。私が小学生時代、学校教育の一環として鑑賞させられた映画だ。戦後60年、8月は抗日戦争席材の映画やドラマが集中的に放映される。日本では「また再放送か」と思う人が多いだろう。しかし、つらい経験を忘れてはならないと、中国人に染み込んだ歴史教育の在り方だ。抗日戦争による庶民の悲劇を学ぶことは、中国人にとって自強精神を身につけるための教材にすぎない。反日教育ではなく自強教育が狙いだ。「自強(人も国も強くなる)」意志を樹立させる手法として、苦しかった経験を思い起こして、もうその過去に戻らないために自分を鍛えることを生活習慣にしている。不特定多数の中国人は古い歴史から教訓を汲み取るのが習慣になっている。歴史に学ぶ精神は儒教に基づいている。儒教の教えを2千年以上続いてきた国柄だ。




  現代中国の本格的な日本研究は建国から15年後の1964年に、北京、上海、天津、東北地域に日本研究機関を置かれたときに始まるとされている。文化大革命の10余年停滞期を乗り越え、改革開放に移ると急速に発展した。
  研究大会には中国各地から日本文学の研究者約80人が集まった。ほぼ全員が日本留学を経験し博士号取得者も8人。49本の発表があった。現在の中国における日本研究は、日本留学を経験した30〜50代の中堅研究者が中心であることが特徴で、今回の大会でも発表の主役になった。研究内容の多様化も進んだ。『源氏物語』や軍記物語、仏教文学など定番の古典の発表は水準の高まりを示す一方、近代文学、現代文学の研究が競われた。近代文学では、夏目漱石関係の論文が4本のほか、芥川龍之介、与謝野晶子、宮沢賢治が各2本。森鴎外、島崎藤村、志賀直哉、横光利一、樋口一葉、有島武郎、三島由紀夫が各1本。現代文学では、村上春樹が4本、大江健三郎が3本、渡辺淳一が2本、三浦哲郎、吉川英治、安部公房が各1本。分科会は質問が絶えず、熱気にあふれた。
  日本とほとんど時間差のない研究発表は注目に値しよう。深せん大学教員の郭来順さんが日本社会の変化を背景に、55年の芥川受賞作・石原慎太郎の『太陽の季節』を前現代前衛青年生態小説、76年に発表した村上龍の芥川賞『限りなく透明に近いブルー』を現代前衛青年生態小説、03年下半期芥川賞の綿矢りさの『蹴りたい背中』と金原ひとみの『蛇にピアス』を前衛青年生態小説に分類した。青年の時代精神を探りながら作品を追う斬新な研究法に注目が集まった。郭さんは、最年少芥川賞の綿矢りさの作品と17歳で退学した中国の少女作家・韓寒の長編小説『三重門』を比べながら、情報化社会に動揺する既成秩序の葛藤・苦悩面から分析した。
  村上春樹は『ノルウェイの森』によって中国に村上ブームを起こした日本現代文学の先駆的作家だ。村上作品を中心に、世界における日本文学の位置づけを試みた発表も見逃せない。口火は、村上全集の翻訳者で知られる中国海洋大学・林少華教授がハーバード大学における村上研究だった。続いて、浙江大学教員謝志宇さんがオランダ学者による安部公房研究を分析した。謝さんか村上や島田雅彦ら作家群の分析も行い、中国の著名な比較文学研究家・王向遠教授の研究に触れながら、それまでの安部公房、大江健三郎たちに比べれば、本質的な違いが見られると提唱した。王向遠教授は、村上中心のポスト現代主義文学が国際的に注目されているのは、彼らの作品がすでに世界ポスト現代主義文学においても重要な一部になっているからだと強調した。
  日本文学に肉薄しようと懸命になっている中国の研究者の熱意が感じられた。研究発表に立った全員が日本で批判の出ている「反日教育」を受けているが、今回の発表内容は反日・嫌日と関係なく、自由に自分たちの分析を競演した。日本と日本人を冷静に見つめる研究の眼が育っていると感じたのは私だけではないはずである。

  研究大会に触れる。2年ごとに開かれているが、私は初めて参加した。「研究に反日も親日もあってはならない。日本文学は、世界文学のなかで重要な位置づけをできる優れた文学だから研究していかねばならない」。「反日噴出」に関係なく、日本文学に冷静に取り組む研究者の態度に感心した。


  中国では日本の生活文化と商品文化が普及し、人々の心の深層にまで浸透しているのが実情ではないだろうか。

  これを全面的に受け入れているのが30代以下の若い世代だ。彼らにとって、日本現代文学がリッチな生活様式のモデル役をしている。日系企業、日本留学生の数が急増していることと無関係ではない。都市化の拡大に伴って増えていく中産階級が最初に読み出す外国文学が日本の現代文学というのも多くなった。若者たちに中国伝統の価値観との格闘が始まるきっかけを与えている文学も、日本の現代文学が多いと言えよう。それで混成文化の共生を考える若者たちが拡大しつつある。若者たちは日本ひいては世界への関心が高い。日本の現代文学を通して国や民族を超えたボーダレス空間の必要を考え出したようにと思う。このような若者層を「ボーダーレス族」と名づけたい。彼らの生成が若手の日本研究者の成長と相乗して、冷静な知的構築が積み重ねられていくと思われる。筆者が以上のように「中国における日本研究の変容」を発表してから、おまけに「中国への日本発信としての宮沢賢治」を話した。
  激変の中国に見合う日本からの支援理念及び発信手法の更新を期待したい。


[王敏さんのプロフィール]
 1954年生まれ。法政大学国際日本学研究センター教授(日中比較研究・宮沢賢治研究専攻)、朝日新聞アジアネットワーク客員研究員、政策研究大学院大学客員教授、中国社会科学院日本研究所客員教授、日本ペンクラブ国際委員。90年中国優秀翻訳賞、92年「山崎賞」、97年「岩手日報文学賞賢治賞。主な著書に、「ほんとうは日本を憧れている中国人─愛憎紙一重の日本観(仮)」(PHP新書)、「<情>の文化と<意>の文化」(中央公論社)、「宮沢賢治・中国に翔ける思い」(岩波書店)他多数あり。