労働組合とは女性の水着のようなものである。水着とおなじように、Tバックに近いようなホンの少しの存在でもよい。ないと困るのだ。そしてあまり全面的に素肌を覆ってしまうのも楽しくないし息苦しい。ほどほどが大事である。
だが最近はちょっと心配だ。水着はもう少し小さくなってもさしつかえないが、労組の場合は今よりも自分を小さくしないほうがよいように思うのだ。秩序や風紀が乱れるような気がするからである。
ビキニが登場したのはいつのころか知らない。昭和20年代30年代の映画や写真をみると、女性の水着はほぼボディ全体を覆っていた。それはちょうど労働組合の全盛期と重なる。
賃金をはじめとした職場の労働条件が「労働組合によって」左右される領域が広かったのである。労働弁護士なども同じで彼らは消防自動車のように駆け回っていた。実に貧しく不幸な時代だった。
不幸な時代が過ぎ去ったあとにやってきたのは、必ずしも幸福な時代ではない。労働組合の役割が低下することによって、職場生活で個人による判断と選択の幅が広がり、かえってストレスが増大するようになったのである。
職場は普通の人間にとって人生のもっとも大切な時間を費やす場所である。年間約8700時間のうち2000時間は職場である。しかし通勤時間あるいは職場の仲間とのつきあいなど関連の時間を含めると、おそらく年の半分は「仕事の時間」だ。その「仕事の時間」をどう過ごすかはとても大切なテーマである。結論はよい仲間をつくることに尽きる。よい仲間とは困ったときに助け合える仲間のことである。よい仲間をつくるのは難しいことではない。仕事を覚えて仲間の力になれればよいのだ。もちろん時間はかかるだろう。しかし仕事に関して前向きであればけっこうなんとかなるものだ。
いつでも賃金は高い方がよいし、労働時間は短い方がよい。しかし現代は1960年代や70年代とは異なり、つましくやれば誰でも普通に暮らすことができる。普通に、とは何年かにいっぺんは外国旅行ができる、といったことである。そういう時代に「人々の関係が盛り上がる」のはどういうテーマかというと、お互いの苦労話である。信じられないようなトラブルがあったり、救いがたい失敗があったり、あるいは危機と思えるような事態を乗り超えたり、といった経験を共有するとき、人はそこに仲間を発見するのだが、今日の職場はそのような仲間を得る可能性がまだあるはずだ。
もちろん、企業間競争や職場の出世競争、自分のことしか考えない上司など、困りごとは無数にある。あるいは不倫などというすばらしい体験を悩んでいる人もいるかもしれない。だがしかしそうした無数の泥沼のようなゴタゴタがあるからこそ、かえって一瞬、人は輝くのである。
別の角度からいうならば、普通の人にとって働くということは「人間関係管理」を生きることである。「だれとどのように」といった制約のなかで働くのが普通の職場だ。だから「すぐれた仕事人」は、関係づくりが巧みである。それが楽しくかつ生産性の高い働き方のコツだからだ。