近年にない猛暑にもかかわらず、小樽運河の周辺は今年も多くの観光客が訪れ、昨年度は年間 650万人のお客様に訪れて頂いた。
この観光客で賑わう小樽運河から山側に40メートル足を延ばすと草木に覆われた「旧国鉄手宮線」レールが延々 2.7キロも続き、札幌の若者たちは「スタンド・バイ・ミーが出来る街」と恋人と手をつなぎ散策している。価値観が多様化し、バブルが崩壊し、ツアー型観光はその商品性を喪失している今日、パーソナル型観光への変化の兆しはこの草木で荒れ果てる「旧手宮線」の観光客によるクローズアップで証明されている。
1999年2月新しい冬の祭「小樽・雪あかりの路」はこの旧手宮線と小樽運河を会場に開催された。小樽の新しい冬の風物詩を生み出すべく官民一体となって、歴史的町並を雪のキャンドルで演出したのである。雪の手宮線に作られたキャンドルロード、とりわけ旧手宮線のレール上に作られた雪のトンネルは蝋燭の灯りに幻想的に照らされ、訪れた18万の人々を魅了し好評をはくした。これに触発され、周辺住民もこの旧手宮線につながる雪の露地に自主的にスノーキャンドルを設置し、来年2月にはイルミネーションではない揺らめく蝋燭の灯りの道が又出来上がる。
小樽手宮・南小樽間を走る「旧国鉄手宮線」は、1880年に幌内炭鉱──小樽手宮間に日本で3番目の鉄道として開通し、明治日本のエネルギー源石炭を搬出し、日本近代化の文字通り原動力として活躍したが、戦後の小樽港のポテンシャルの低下と石炭から石油へのエネルギー転換にともない、85年全線廃線となり、今日まで放置されたままである。一方年間1000万の来場者を予想する今春開業の日本最大の大型複合商業施設「マイカル小樽」とそれによって地盤沈下に一層拍車のかかる既存商店街、観光出島化し市民と分断された運河地域という現実、小樽のこれからを大きく左右する状況が生まれている。
この現状に対して、中心市街地と「マイカル小樽」間を「旧国鉄手宮線」を延伸・直結し、欧米各都市で採用される最新式超低床路面電車システムを導入し、年間1000万人の来場者は5000台収容の駐車場で下車してもらい、そのうち2?3割の200?300万人の来場者を中心市街地・商店街に誘導するという提案を、市内六つの市民団体で構成される「小樽まちづくり協議会」は提唱している。
これによって、旧国鉄手宮線をすでに夏場の観光客で麻痺状態の都市内交通の新たな中心に位置づけ、車椅子利用者などの交通弱者に不可欠のバリアフリーの交通手段、また環境にやさしい交通手段として導入し、今尚所有者の限界が来て取り壊さざるを得ない歴史的建造物を沿線に移設配置し、『まち』の顔である中心商店街地と運河地区・マイカル小樽地区の来場者を結びつけ再活性化しようという計画だ。
この3年、小樽まちづくり協議会と共同のテーブルにつき論議を深めてきた小樽市は、この旧手宮線の持つ可能性を大事にし、将来この超低床路面電車システムでの転用も想定し、とりあえず「歩行者自転車専用道」として確保する意向を表明した。
たしかに、古い『まち』での新たな交通体系の創造は、大変な困難を伴う。しかし、今は野草の繁茂するまま放置されてきた「旧国鉄手宮線」が、視点を変えてみると小樽に残された最後の「一大遊休地」であり、建設省・運輸省も莫大な費用と時間を消費する地下鉄建設や新交通システムに変わる都市内交通システムとして「超低床路面電車(LRT)」へのバックアップを始めたという好条件がそろっている。
小樽は、かつて市内を二分する運河保存論争を経て、小樽運河ブームを核とする観光都市として斜陽のどん底を克服し観光全国ブランドに成長してきた。
時代的役割が終焉したといわれた小樽運河周辺の歴史的環境を保存・再生する事で『まち』の活気の蘇生に結びつくという貴重な経験をもつ小樽は、今日「旧手宮線の跡地活用」を巡って、再度どういう都市像を獲得するか、この10年で築かれた観光都市小樽をどう質的にグレードアップするか、その選択が問われている。