京都市内で軒を連ねる近隣の会社の社長と500キロかなたの東京都心の大会社の社長、あなたはどちらに近さを感じますか―。
京都の小さな会社や商店の経営者にこう問うと、十中八九「やっぱり東京の会社やろか」という答えが返ってくる。
近隣の会社はいつも看板を見ているし、町内会で顔を合わせたりもするのだけれど、業界が違うのであまり会話も弾まない。町内が違うと出会うチャンスすらない。
ところが、東京の大企業の社長はその一挙手一投足が新聞や雑誌に掲載される。経営者としての経営戦略だけでなく、個人の趣味や交友関係などまで事細かに情報として発信される。
それぞれの社長が何を考え、どのように感じながら経営しているのか―。そうした“肉付きのいい情報”は、いつも東京からのみ発信されてくる。地域の経営者の情報視野は案外、灯台もと暗しなのだ。
これは京都に限ったことではないように思う。今まで10以上の都市に住んだが、地方では多かれ少なかれ東京を遠眼鏡で見ながら仕事をするという感覚が一般的だ。現代のマスコミ環境はさしずめ“超高感度の遠眼鏡”とでも言えようか。
私は別に地域の経営者が灯台もと暗し状態にあること自体を批判しているわけではない。
東京というシステムが十分に機能しているならば、遠眼鏡主義はむしろ合理性を持つ。地域経済を運営するための主たるテーマは、東京を中心とする生産システムと分配システムにいかにうまく組み込まれるか、だったからだ。地域の実力者と呼ばれる人々は、ほぼ例外なく“中央からの金づる”を握っている人々だった。
ところが、東京が急速に機能不全に陥ってしまった今、地域はどこも「はしごを外された状態」にある。今まで、東京というシステムに組み込まれようと必死になって地域社会を再編成してきたのに、気が付いたら資金源そのものが枯渇していた、という泣くに泣けない状態だ。
なにせ明示維新以来130年、戦後だけでも50年かかって構築してきたシステムだから、新しい環境、すなわちもはや絶対的な中央はないという環境に体を合わせるには相当なエネルギーが必要だろう。しかし、本当の意味での自立した地域経済を確立しないことには、グローバル経済の嵐にもみ消されてしまうだろう。
私たちは12月1日の創刊を目指して、日刊地域経済紙の創刊準備を進めている。自分たちの足元の経済状態に関する認識を少しでも共通の情報にしようという試みである。地域経済が直面している課題が大きければ大きいほど、足元をきちんと見つめる活動こそが価値を持つ、そう自分たちに言い聞かせている。