1960年4月、花祭の白象が病院の前を通る頃、わずか1680グラムで生を受けた男の子は看護婦詰所の携帯用無菌箱の中にいた。退院後は小さすぎるため、タオルを結び袋状にして、父が抱いて直接湯船に入れた。気持ち良さそうに鼻をふくらませ、泣かなかったという。先天的風呂好き人間の誕生だ!
長じて高校に勤めるようになると、生徒を集めて温泉巡りをした。生徒の少ない小遣いを心配し、組合保養所や温泉場の共同湯に入浴させた。「後に利用する人のためにガイドを作ろう」ということでニュース(新聞)を書き始める。生徒があれこれ悩んだ末、命名したのが「 ON 1000=おんせん」。その後、温泉医学の祖、ベルツ博士に因んで「ベルツクラブ」と改名。私が転勤したため、“新”を付け「ノイベルツクラブ」となる。
卒業生とは数年に一度調査に行ければ良いほうだ。そこで一人になると、都内の黒い地下水を使った温泉を回ってみようと思った。ほとんどが銭湯で、研究の第一人者の町田忍氏と知り合い、テーマを銭湯に移し「銭湯巡りニュース」は臨時号を除き99号となった。
取材は経営者の高齢化により「ダメダメダメッ!」と断られ、3日間寝込んだこともあったが、比較的良い御主人、奥様に恵まれ、3年目で 185軒になった。
黒い温泉=黒湯(東京湾に沈殿した海藻や魚の死骸が、液体化した石油のようなもので、湯脈となっている。湯脈を掘ると出る黒い20度前後の温泉のこと。非火山性で沸かす必要がある。大田区蒲田、川崎、横浜に多い。水道水を白湯という。)を回り始めた頃はお年寄りの方から声を掛けてくださることが多く「いつもは52度なんだ。誰かうめやがって。 オレら上がるから、ゆっくりへえって行きな。」と言ったって48度!では熱さを越えて、肌にツーと冷たく走り身動きできずに「ア、ハイ」と答えるのが精一杯だった。
また、外観を写していると「なに写真撮っとんじゃ、あー!」と厳しい言葉が返ってきたこともある。入浴に来ていた御主人の友人らが「こん人は趣味で風呂屋を撮って歩いている」と取り成してくれたことも幸いしたが、入浴後縁台で涼みながら御主人と並んで座り、店の前のつつじの花を褒め、いい湯だったことを話すと「翌朝8時に来い。浴室の絵を撮らせてやろう」ということになったりもした。
最近は女性客に配慮し、フロント化する店も増えた。お年寄りでさえ無言で、すーっと帰っていく時代になってしまったが、声を掛けると「待ってました」とばかり、30分以上次から次にお客様が来るのに話をしてくださる御主人や奥様も多い。
また、旅行中では時間が制約され、アポ無しで訪ね、面喰われたりするが、目を見つめてお話すると心が通じ(?)OKして下さる。手作りの梅干しや果物を持たされたり、送られたりもする。もう3年も通い続けている銭湯もある。
東北と四国を中心に御礼入浴が増え、旅の日程もどんどん長くなっていく。でも訪ねると“ニコッ”と笑顔が返ってくる心暖まる銭湯、皆様もぜひ利用していただきたい。湯に浸かり、手足を伸ばせば「アー、極楽!」と言う、リラックスの一声間違いなし。