ここ数年、国や地方自治体でも「芸術文化の振興」をキーワードにした施策づくりがさんかんである。
特に昨年などは文化庁だけでなく自治省、通産省、国土庁などが次々と「文化を中心にすえた」地域づくりや産業の活性化を競ってうたい、ある種のブームの感さえする。
戦後の日本の社会が「ものの豊かさ」のみに走り、その痛烈な批判への反省と、「こころの豊かさ」をこそ求める国民の関心の高まりに、遅ればせながらでも行政が重い腰をあげようとしていると思えば、それ自体喜ばしいことではある。しかし、芸術・文化活動に直接たずさわっている我々からみると何かひとつわり切れなさと空々しさを感じるのも事実である。
私が参加するPAN(芸術文化振興連絡会議)には、文化政策の拡充を求めて、現在2,800をこえる演劇、音楽、舞踏、芸能、映画などの実演家団体と鑑賞、文化団体が集まっている。
ここでみる芸術家たちの現実は、表面的にうつる華やかな芸能界とはほど遠く「いつまで続けられるか」を自問自答しながら努力している人たちがほとんどである。
全芸能人の半数が400万円に満たない年収であることは意外と知られていない。
こうした実態を税制論議の口述人として国会で説明した際、議員席から「お前ら、好きでやってんだろう!」とヤジを飛ばされたのはほんの8年前の話である。当時、政治家や行政の代表と会うと多かれ少なかれこうした反応が返ってきた。
もともとPANの前身は戦後まもなくから営々ととりくまれてきた、舞台入場税撤廃運動である。
「文化はぜいたく」として戦時立法化された「入場税」を廃止せよと最初にたちあがったのは、音楽家の山田耕作さんやオペラの藤原義江さんたちであった。
その後45年間、数えきれないほどの国会請願や陳情にもかかわらず「入場税」は廃止されることなく「消費税」に吸収され、形をかえて生き続けているのである。
いうまでもなく文化を創造し、享受する主体者は国民自身である。
行政は、文化創造の主体になりえないのだから、実際に芸術文化活動にとりくむ人に謙虚に耳を傾け、後方から何が支援できるかを探すべきである。
そうでないと文化のバブルは広がっても、豊かな文化の真の発展にはつながらないと思うのである。