沖縄に妖怪がウロウロしている。それはいつの間にかしのびよって、海や山や川や、家や墓や御願所をつぶしながら、大声で偉そうなことを喋ってい。なかなか実体をみせずに、チラリチラリとその影だけを映していた…。
もちろん妖怪とは「リゾート」である。80年代に入って何かにとりつかれたように、リゾート、リゾートと騒ぎ始め、この小さな島に信じられないほどの「リゾート計画」がもちあがった。しかし、そのうちどれだけが本島のリゾート計画なのかは、まるでわからない。というのも、そのほとんどが大和資本による、バブル経済を背景にしたものであり、理念も計画性もないただの金あまりによるリゾート計画だからだ。
そしてバブルがはじけた今、次々と計画がつぶれている。それみたことか、というところであるが、そうも言ってはいられない。というのも、その計画に乗せられた沖縄の人はいったいどうなるのだろうか。最近、沖縄市に建てられたリゾートマンションが完成したのはいいが、バブルがはじけて、その後の事業予定が立てられず、計画を断念した。今年の4月からオープンするはずだったそのリゾートマンションには、県内の高校卒業者を多く採用する予定だったのだが、それも白紙となった。事業が始まる前に失業者を生み出したのだ。その建物自体どうなるのかわからないという。実体がないとはこういうこと。ダイビングで有名な座間味村では、ホテル建設をめぐって、地区同士の対立があったりしたが、計画自体が潰れてしまった。残ったのは、地区の感情的なしこりである。その土地に生活があるということが最初から考えに入っていないようなのだ。
ジャパン・トーキョーマネーという大和のシステムが、沖縄を変質させてしまった。一度潰された環境は二度と戻らない。自然環境が変わるということは、そこの土地の人が変わるということだ。「沖縄らしさを大切にする」という沖縄のリゾート計画であるが、ジャパンマネーリゾートの性格自体が、「沖縄らしさ」とは相容れないものなのである。リゾートというシステムは沖縄という文化には合わないのである。断言してもいいけれど。
僕たちの年代は(ちなみに筆者は29歳)、ものごころついた時から「観光地沖縄」であった。観光立県と叫ばれ続けて、復帰20周年を迎えた。アメリカ、日本という世界の大国に振り回された沖縄は、もうそろそろ独自の道を歩み始めてもいいのではないかと思う。今、沖縄でも沖縄ブームなのであるが、それは末期的状況である沖縄を、もう一度再発見したいというせっぱつまったものでもある。「恋をしたら沖縄に行きましょう」(ある会社の宣伝コピー)と言われても、「じゃあ、我ったーや まーかい行ちゅが(僕たちはどこに行くの)」とつぶやく最近のオキナワン・ボーイズ&ガールズである。